義経一行は蹴抜の塔をあとに、喜佐谷を越え竜門郷から多武峯
をめざして逃れることになったが、奥州以来の忠臣忠信はしん
がりをを引き受けて、獅子の尾坂の頂上花矢倉の木立ちに身を
よせ、攻め登る山僧めがけてさんざんに矢を射、吉野一の僧
横川の覚範を射伏せた外、多くの僧徒を射倒しなぎ倒して一行
の血路を開いた。    義経千本桜では、五段目でこの場面
の話がある。ここでは、覚範は忠信の兄継信を鳥居の戦いで討
った仇敵の能登守教経として登場する。忠信は苦戦するが、狐
の加勢で教経を討つことが出来るのである。元の吉水院。明治
初年、廃仏毀釈により神社に改められ現在に至っている。書院
の中には義経潜居の間があり、その傍らに一畳ほどの弁慶思案
の間がある。ここで弁慶が今後のことを思案したという。また
一行にゆかりの品として、義経所用の色々威腹巻や鞍・鎧・静
所用の鎧・弁慶所用の籠手や七つ道具、佐藤忠信所持の兜など
が伝えられている。